江戸末期から明治初年にかけて京都の庭師が構築した庭園
鵜川の旧家にして医師であった布施家七代良斉が、江戸末期から明治初年にかけて、京都の庭師を招いて築造し、九代禎二に至って完成した庭園です。 昭和3年、鵜川小学校(現在廃校)が同地に移転した際、十代貞夫より村に寄附されたものです。 庭園全体の構造は、三山を大きく築き、大小2つの池が石橋に接して「心」字をかたどり、三山の裾をめぐり、そのまわりを当地産出の大石約200個をもって囲んでいます。 築山の全面は苔で覆われ、五葉松の巨木(令和4年の風雪で折損)を中心に、いちょう、もみじなどの樹木が植えられ、池の手前には飛石を配し、平地にツツジやカエデなどの植込みがあり、幽寂な趣に富んでいます。 面積は約990平方メートル、座観式庭園で、近江八景を模した江戸時代末期の名園で、優れた景観がよく保存されています。

INFO基本情報

名称 静雅園
(セイガエン)
住所 〒945-1252 新潟県柏崎市女谷 アクセス

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    講演・文化
    2025.09.14
    ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財「綾子舞」の一般公開です。柏崎の誇る伝統芸能・綾子舞500年の歴史を今に伝えます。 現代も根強いファンを全国にもつ綾子舞は、永正年間(今から約500年前)に戦いに敗れた上杉房能の奥方、綾子の方が柏崎に落ちのび形見の舞として今に伝えられたという説や、北国武太夫(ほっこくぶだゆう)という武士が京都北野神社の巫女「文子(あやこ)」の舞を伝えたという説など諸説あります。 小歌踊(こうたおどり)、囃子舞(はやしまい)、狂言(きょうげん)の三つを総称して「綾子舞」と呼びます。

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